Wikipediaでこの映画の情報検索したら
どうやら、テレビでやってたショートフィルムシリーズが
元だったみたいですね。
そんなこともつゆ知らず
ジャケット借りですw
最初、
なんでこんな大正ロマネスク的な、
今で言う所のなんでしょう?
アンティーク系の着物の着こなし方とでも言いましょうか
そんな格好してるのかなと思ったんですが
作中に明治時代が出てくるがためでしょう。
そう思う事にしました。
でも、主演の夏帆ちゃんは現代に生きる女の子の役でしたけどw
落とした携帯電話がなぜか明治時代に行ってしまい
それを拾った青年と連絡を取るうちに
お互いの気持ちが通じ合っていく…という
物語の発端は漫画的な感じですけど
上手くそのキーになる「携帯電話」を使ったなぁと思いました。
障害の多い恋愛、距離のある恋愛って
それ故に自己の想いが自己の中でとてつもない速さで
増幅されていくんですよね。
えぇ、わかりますともその気持ち。
人は自分の生活行動圏内でしか
基本恋に落ちないもんなんですが
(個人的な見解ですけどね。それ以外は憧れと考えてます)
それがふとしたきっかけで出会った人がいると
そこに色々な偶然、奇跡を見出したくなるんですよね。
作中、男の子役の佐野和真くんが夏帆ちゃんに向かって
「でも、どうして僕たちなんだろう?」
と言う場面があります。
話の流れとしては、
それは恋愛の事に関してじゃないんですけど
見てるこちらにとっては
自分たちがそれぞれの恋人と出会った奇跡に
ふと客観的でロマンチックな問いを投げかけてるように感じて
とってもキュンとしちゃいました。
冷静に考えると、
63億でしたっけ?
そんだけこの星にいる人間の中から
どうして僕らが一緒になったのだろう?
そう思うと、
二人の絆がとてもギリギリの儚いもののように思え
ついつい当たり前になってしまう恋人に対し
改めて掛け替えのない、キラキラした存在なんだよ、と
甘酸っぱい感情を含み見つめる事ができるような気がしました。
時を隔てて
携帯電話で話しながら
お互いの時代にも存在する場所でデートをする。
なんて素敵なんだろう☆とキュンキュンw
好きな人と何かひとつでも共有できるものがあるってことが
こんなに幸せな気持ちにさせてくれるんですね。
だのに、多くを求めてしまう自分…。
そのシーンの中で
2人の橋渡し役となる女の子(未来ではおばあちゃん)が秀逸でした。
明治の男の子(時次郎)に向かって携帯から「ありがとう」と言うシーンがあるのですが
その意味が分かるのが
実は、映画の最後の方なんです。
その本当の意味が分かったとき、
人ってそういう瞬間のためにきっと生まれてきて
其の時がくるまで必死に研鑽を積んで
なすべき時を待つもんなんじゃないかと思いました。
100年後に思いを遂げられる素晴らしいおまけも
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