2/22/2002

2002年2月22日 北京

北京最終日。
もう北京に戻ってこないという僕の事情で、
(他のメンバーは、北京イン北京アウトのチケットなので、また戻ってくるのです)
わがままを聞いてもらい、「故宮」へ。

と、その前に腹ごしらえ。
中国に来て初めてのマクドナルドへ入る事にした。
(待ち合わせ時には、場所にしただけで食事はしなかったのです)

以前、インドを訪れた時にマハラジャマックベジタブルバーガー等というオリジナルバーガーにありつき、それ以降、世界展開をしているチェーン店に行く時には

ご当地メニュー
を頂くのが楽しみになっている。

しかし、困った事にメニューが漢字だらけの為、オリジナルを探すのはかなり困難のようだ。

と、そこに新メニューかお薦めなのか判らないけど英語表記の入ったメニューを発見。
「Spicy Chicken Filet Burger」(麦辣鸡腿汉堡)
これは、日本で見た事ない!とすかさずオーダー。
辛さもそこそこで美味しく頂きました。


本題の故宮へ。

いや、なんていうか予想以上の大きさ。
さすがに大陸はスケールが違うなと。
でも、それだけ。
日本史専攻だったし、こちらの歴史にはあまり興味がなくって。
実際予備知識がないと感動とは薄いものなんだと実感。

故宮を出、
各々自由時間を設けることに。
それまでお土産を買う事にした。

しかし、街の全容が掴めていないためどこに行けばイイやらさっぱり。
ひとまず、上海に続きこちらでもご当地マグがあるだろうとスタバを探す。
王府井にあるスタバに赴くも、目当てのご当地マグは見つからず、
意気消沈して東単というおしゃれストリートっぽい所へ行くも
そこには、スタバすら見当たらず…
残り時間が少なくなって来たので待ち合わせ場所に向かってた時
偶然にもスタバを発見。そして、ご当地マグも発見。
もれなく付いてきた飲めないコーヒーの処理に困りつつご当地マグ購入。

皆と合流し、
列車の出る「北京西駅」へ。
朝、荷物を預けに一旦いったのだけど
この駅の大きさは何事?
およそ鉄道駅の規模としては必要ないレベルの大きさなのではと思った。
京都駅の駅ビル以上かと。
言っても、デパートやホテルなんかが入ってるわけじゃないのに。
こんな所にも大陸のスケールの大きさを感じたりする。

ホームに入ってきた列車は、僕が上海から乗ってきたものよりも新型だった。
ハードスリーパーだったけど、
(種類としては、座席、寝台のそれぞれハードとスリーパーで4種類がある)
快適で誰からも文句は出なかった。

じゃんけんで真ん中のベッドになったので、結構喜んだものの
上の段と同じくやっぱり背筋は伸ばせなかった…
ただ景色は見れたので車窓からの景色を楽しむ事に。

北京という都会で中国を判断してしまった僕らに、
この後想像を超えた世界が待ってるなんて…
まさか誰も予想してなかった、ハズ。

こんなにもぐっすり寝てるんだもの。

かくして列車は、次の目的地「洛陽」へ。

2/21/2002

2002年2月21日 北京

中国といえば、誰しもがイメージする世界最大の人工建造物「万里の長城」。

やっぱりコレは外せないでしょう、と。

朝もはよから現地バスツアーに参加すべく
集合場所である「前門」に向かう。

このツアーは、一日に何本も出ているそうで
バスの乗員が一杯になったら出発するというシステムだそうだ。

まだバスが満席になっていない時分に、
うちらのメンバーの一人が朝食を買ってくる時間はあるのかと聞いた所、
「ある」と答えたその場でバスが動き出した。

動き出したバスにつっこんだりしている間に、
すぐにバスは止まり、僕らを降ろしだした。
そして、別のバスに乗るよう指示されバスを移る事に。
どうやら、これで無事満席という事らしい。

車内を見渡した所、どうやら外国人は僕たちだけのようだ。
ツアーという事なので、バスにはガイドがついている。
バスが動き始め間もなく、ガイドがマイクを握り話し始めた。
体感時間にして30分。
ガイドの語りは延々と続く。
言語を解する事の出来ない僕らには、ただひたすらそのノイズに耐える事しか出来ない。
たまに中国人が笑った所で一緒に笑ってみたりしたけど
むなしいだけだった…。

そんな事してる間に、長城到着。

「万里の長城」というものに対し、
教科書とかの写真で見ていた限り
なだらかな山の尾根伝いに連なったものだと思っていたのだけど、
何か違う様な印象を受けた。

なんていうか、かなり起伏が激しい場所ではないか。

つまり、歩くものじゃなくて、登るものらしい。

1時間で戻ってこいという制約の中、
張り切って登る。無事上までたどり着いたのは
わずか2人だけ…
残り時間と睨めっこしながら、小走りで下りる。

バスの中、ちょっとした充実感に包まれていたのに
次にバスが止まった場所は、
またしても長城…。
まさか2カ所も行くとは思わなかった…。

無事、長城ツアーを終え「前門」に戻る。
せっかくなので街中で食事をしようという事に。

向かった先は、北京の銀座的?な場所「王府井(ワンフージン)」。
その華やかで都会的な通りを一本裏へ入っていくと、
そこにはまるで縁日の様なにぎやかな通りが!

色々な出店がひしめき合う中、
第2弾「ゲテモノを喰らふ」を敢行。
先ずは、すずめの串焼き。(1元/串)
別段、珍しいわけでもない。
京都の伏見稲荷大社の参道でも売ってるのみたことある。
ただ、食べた事はなかったので是非ともと食べてみる。
以前、コレを食べた事のある人から味についての感想を求めた所
すずめ味という、
全く持って意味の分からない回答をもらった事があったけど、
実際食べてみてなんとなく納得。
なんていうか、小さくて丸焼きで供されるのだが
故に肉の部分がほとんどなくてバリボリ丸ごと噛み締める感じなのだ。

次のターゲットは、
セミの幼虫
いや、コレはキツかった。
まださなぎみたいになってる状態のものだったんだけど
中がトロッとしていて
コルゲンコーワのCMのアレの様なのだ

その他にも、
「サソリ」「コオロギ」などに挑戦。
これらはカリッとして実に美味しかった。

後になってふと思ったのだけど、
あれって普段からみんなが食べるものだったのかな。
単なる観光用の中国人でもあまり食べないゲテモノだったりして。
出店だったし、中国人があれらを食べながらブラブラしてるの見なかったもの。

ま、
でも、もう食べちゃった後だし、今更か…

2/20/2002

2002年2月20日 北京

火車(電車)に揺られる事14時間。
2番目の街、北京に到着。

クラスメートとの待ち合わせは13時。
それまでだいぶ時間があったのだけど
時間になって待ち合わせ場所が分からなくて落ち合えないのもアレなので
先ずは、その場所を把握するためひとまず行ってみる事に。
ていうか、お互い初めての場所で、しかも海外なのに
そんな曖昧な待ち合わせの仕方をしていていいのかと言う所だが…

北京は、上海に比べて街の規模が大きいようだ。
「歩き方」の地図だと駅から目的地は目と鼻の先のように感じるんだけど
なんか一向にそれっぽい場所が見当たらない。
そのうち大きな赤茶色の城壁みたいなのが見えてきた。
どうやら、これが噂に聞く「故宮」らしい。
正面の門の真ん中には、ちゃーんと「毛沢東」の肖像画が飾られている。

地下道を通って、天安門広場へ。
こっからなら全容に近い状態で写真を撮れるだろうとカメラを向ける。
…しかし、無惨にもカメラからのぞくその先には
真ん中に堂々と国旗を揚げるポールが…
こんないたいけな純情旅行者のうぶな心を弄ぶとは、
憎いよ、中国。

肝心の待ち合わせ場所は、
地下鉄「前門」駅そばのマクドナルド。
しかし、しかしだ。
僕の悪い予感は見事に的中。
よりによって、
2店舗展開…。

時間はまだまだあったので、ブラブラする事に。
上海しか知らないからなんだけど、
北京はずいぶんとホコリっぽい。
街の雰囲気も、どことなく色彩に乏しいような。
そこには、日本にいる時に中国に対して持っていたイメージのソレがあった感じがした。

適当に昼飯を摂り、待ち合わせの場所へ。

まずは、可能性の低そうな地下にある店舗へ。
…いない。
もう一方へ向かう。

おや、店の前に見た事ある人物が2人ばかし。
なんだか、嬉しかったり恥ずかしかったりで笑いがこぼれてしまった。

よくもまぁ、こんな外国の見ず知らずの街で、かなり適当に決めたくせに約束どおり落ち合えたものだよ。
しばらくして、他2人も合流し見事5人そろい踏み。

喜びの再会もそこそこに、次の街「洛陽」までの切符を買いに北京駅へ。
この前は1人だったからすぐ買えたものの
今回は5人。そう、容易くはありつけないだろう。
僕は、先に上海での体験から
如何に切符を取るのが大変か自慢げに4人に熱弁。

おそるおそる窓口で希望の席を書いた紙をくぐらす。
あっさり切符ゲット…
何かが違う。こう、もっと中国に歯ぎしりする様なあの瞬間を望んでいたのに。
眉一つ動かさず「没有」と言われるあの屈辱的な瞬間を。

無事切符を手に入れ天安門広場まで戻ってくると
何やらそこにはものすごい人だかり。
コレは絶対何かあるに違いない。
も、もしかして国賓がやって来ているとか!?
などと期待してじっと真相が明らかになるのをまつ。

すると、あのポールに軍人さんが数人近寄り国旗を揚げた。
おぉ!これはいよいよ何かが始まるに違いない。
そう待っていると、しばらくして
揚がっていた国旗がスルスルと降ろされてしまった。

すると、人混みは散り散りになって…
え!?国旗揚げて降ろしただけ?
中国にあっけにとられながら、敗者のようにぼくらはホテルへと向かった。

2/19/2002

2002年2月19日③ 上海

上海駅に着いたのは良いんだけど、
時計はまだ17時すぎ。

これはちょっと早く着きすぎた。
じゃ、時間もつぶせるし食事にでも行きましょうか。

地下鉄の入り口から駅の反対側へ。
北口は、南口のように大きな建物はない。
駅前にバスターミナルがあるだけで、あとは普通に民家ばっかり。
と、2日目の日記にも書いたっけか。
曖昧な記憶だけを頼りに、住宅地の間を進んで行く。
意外にもすぐに大きな通りに出た。
交差点を一回越えて少しした所に“例の店”は、あった。

コレが今回の上海での本当に最後の用事?
題して「ゲテモノを喰らふ」第一弾、“狗肉編”
その店は2軒連なっていたのだけど、
他と違い大きな黒板に色とりどりのチョークで鮮やかにメニューを書いて店先に出していた。
えーと、「狗」のメニューは…と最初に目に飛び込んできたのは「狗肉鍋」(20元)
ダメ、高い。
他のないのかと隣の店のメニューを見るとこちらも同じく「狗肉鍋」(20元)。
根気よく探していると、左下の方に「狗肉麺」(6元)を発見!
タイミングよく店の若旦那風の兄ちゃんが「おにいちゃん、何にする?」と、
声をかけてきてくれたのでソレを指差した。

中に入りしばし待機。
果たして、「狗」の肉とはどんな味なのか?

こっちの興奮などよそに、
店員はいつもと変わらぬであろう態度でソレを僕の目の前に。

まずは、一口。
スープはカレー味。
具は、「狗肉」と「ニンニクの芽」。
そして、なぜか生姜の固まりが。

それでは、お待ちかねの肉を…
あんなに楽しみにしていたのに
実際に目の前に出されると結構抵抗があったりする。
しかし、他の誰が一緒にいるわけでもないので
笑いを取ったりする事も出来ない(する必要もない)
手頃な大きさの肉をチョイスし口へ。

肉を入れて噛み締めて味わって、
何故この麺がこの味付けと具なのかを理解した。
要するに、臭いのだ。
日本でもクセの強いものを食べる時に、
ニンニク、生姜などの薬味を使うけどソレとおんなじってことなんだね。

しかし、肉は非常に柔らかい
臭みも味付けのおかげなのかたいして気にならない。
羊肉と同じくらいだろうか。
あとは、精神的なものだけかと。
可愛そうと思ってる限り美味しくは頂けないだろう。

見事、完食。
「狗肉」を見事にクリア出来た自信からか、駅に戻る足取りは軽く
しかも気持ちワイルドになった錯覚に。

「歩き方」には、外国人はソファ席の待合室が利用出来ると載っていたので
意気揚々に向かったのに、入り口の駅員に切符を見せると、
「あんたの列車の待合室は向う!」と、一般人民でごった返している待合室を指差された。
思わず「俺日本人よ?」と言うも「ハア?」と一蹴される。

中国の待合室は、列車ごとに分かれていて非常に便利。
みんなが動いた時についていけば乗り過ごす事もない。

さっきからウロウロしてる子供が、
急に近くのお姉さんの前でピタリと立ち止まり歌いだした。
すると、お姉さん「わかったからコレでどっか行ってちょうだい」
みたいな事を言って小銭をあげていた。
待合室=駅の中なはずなのにどうしてこんな場所に
物乞いが。

歌っては小銭をもらい、隣から隣へと移動し続ける子供。
もちろん、順番はめぐり目の前に。
しかし、断固拒否。

なんだか最後の最後でイヤな思いをしたなと思い電車へ。
3段ベッドの一番上の席の切符だったので
人に邪魔されず過ごせると喜んでいたのもつかの間。

そこには、
本当に寝る事しか出来ない、頭を上げる事の出来ないスペースが。
しかも、ベッドが窓より上にあって車窓も眺める事が出来ないなんて…。

最後の最後まで気を抜けないぜ、中国。

2002年2月19日② 上海

ホテルを出てひとまず、つま先は南へ。
黄蒲公園をゆっくり歩き突っ切る。

「豫園」側に曲がって向かうもバックパックを背負いながらの人混みに
かなりのストレスを感じることは否めなかったから
そこから少し行った裏の路地の方へ。

「豫園」が人手によって残された伝統的上海とでもいうなら
ここにはその原風景が残っている、そんな場所。

目に入る一つ一つががセピア調。
どこかゆっくり感じる時間の流れ。

今朝採れたであろう野菜や魚を何の飾りっ気もなく
ポンと道ばたに置いてる人、
食堂で談笑してる人々。
店先でお客さんを待ってるつもりがうたた寝してしまったんだか
最初からお昼寝してるんだか判断に困る人。

もう、みんながみんなぬくい。

道一つ隔てただけで、一つ二つ奥に入っただけで
全く違う世界に踏み込むことが出来る。

ほんのちょっとの好奇心が、
自分に未知の世界への扉を少しだけ開けてくれる。

なんかしあわせ。

視界に「刀削麺」の文字を見つけたんだけど、
店のあんちゃんがなんか近寄りがたかったので却下。
そのうち「粥」なる文字を見つけたのだが
飯というよりもデザート的なものだったみたいでこれもパス。

すると、その店の横に「川味涼粉」という文字が。
スゲー気になる。
全く想像つかない。
しかも、コレは今まで他では見なかった。
もう、食うっきゃないでしょ!と、思って店の前に立ったんだけど
なんか相手にしてもらえない。
目が合ったから「川味涼粉」の札を叩いたのに…。
そしたら、隣にいたマダムが
「ちょっとあなた達、さっきからこのお兄さんが川味涼粉下さいって言ってるわよ!」
と、言ってくれた(と思い込む)ため、無事1つ買う事が出来た。
ありがとう、マダム。

で、問題の料理はと言うと
なんか白い固まり(粉って言うくらいだから米?でも半透明だからでんぷん質の何か?)
をスライサーみたいなので削りだし、その上に具(干しえび、香菜etc)と、
幾種類かのタレをかけたもの。
涼というくらいだから、熱くはない。
あ、辛っ!川味って四川風味ってことか!
そういえば、タレかけてた時に「ラー?」って、聞いてたもん。
調子に乗って「ヤァ」なんて言っちゃってたけど。

しっかし、この前の牛肉拉麺と言い今の川味涼粉といい、
辛いものと香菜って、非常に相性がいいのね。
日本で食べてたときは好きって訳じゃなかったけど
今回ので、ハマってしまったかも。

そんなこんなで「豫園」エリアを抜け
「金陵東路」を西に向かい「淮海路」へと。
「瑞金一路」に入り、今度はひたすら北上。

やっとこさ、上海駅に到着。

2002年2月19日① 上海

日はしっかり門が開いて営業を開始してました。
いざ両替とおもったらパスポートを出せと言われる。

あいにくパスポートはホテルのフロントに預けっぱなし。
仕方なく一旦戻りフロントでその旨伝えると「両替ならここで出来るわよ」
銀行と同じレートだから心配しなくても平気よ
その言葉が心配をあおるんですが…

ま、でもめんどいのでフロントで両替。

そして、郵便局へ。
中に入ると、運良く一人のおじいさんが箱に荷物を詰めてたので真似してやってみる。
で、箱に詰めたのは良いんだけど
蓋になるものがないんだよね。
困って、暇そうにしてる職員のオバチャンにピンチ面して箱持って行ったら何やら箱の中身を物色しだし、隣に座ってたこれまた暇そうにしてるオバチャンその2に相談しだした。
きっと、このオバチャンが「ザ・税関」なんだろう。
なんかスゲーいい加減。
あ、ビールで止まった。
なに?まさか、ダメ?
お、無事通過。
いやーアレ送れなかったらさすがに一人で処分するの大変だったよ。

なんとか全部引っかからずに済む。


おばちゃんに新品の箱と書類をもらった。
解るトコだけ書き込んでたら、オバチャンその2が新聞紙を持ってきてくれてウーロン茶のペットボトルを包んで手本を見せてくれた。
ありがとう、オバチャンその2。

ひととおり終えておじさんの所に持って行くと
「先にオバチャンの所で見てもらってからだ!」
と、すかさずジェスチャーで追い返される。

オバちゃんとこ行くと、書類でつまずく。
あまりにも不備が多いらしい。
かなり質問されたが、言語として認識せず。
何を思ってかとなりにいた若いねーちゃんまで懇切丁寧に上海語で言ってくれる始末。
俺って、そんなに中国人?

しかーし、そんな中オバチャンその2が僕に救いの手を!
いくつか英単語言ってくれただけだけど。
おかげでここも無事クリア。

あとはサクサク進み、無事出荷手続き終了!
みんなが喜んでくれるといいな。

さてさて、こうして上海での用事も済み
ホテルをチェックアウトするも、まだ時刻は13時。
まだまだこれからって時間です。
ちなみに上海発の火車は20時。
ちょーっとこれは空きすぎでないの?

ということで、ひととおりあたりをブラブラしてみることに。
バックパックは、もちろんしょったまま。

2/18/2002

2002年2月18日 上海

さあ、週も明け今日からお仕事モード!
やっと両替が出来て、見繕っていたお土産も買えるわぁ。

昨晩、郵便局の横を通りかかった時に違う入り口があったのでまずはそこに行ってみた。
すると、そこが小包を扱う場所だった。
し、しかもエメラルドグリーンの箱みたいのが様々なサイズで置いてあるじゃないですか!!
よかった、これで日本に荷物を送ることは出来そうだ。

なんだか気分もノッてきたぞ!と、向かった先はお約束の「豫園」。
なんだかんだ言って横浜の中華街みたいなノリで気に入っちゃった。


上海特産ってなんかあるのかな?とよくわからないので園内をフラフラ。
ケータイのストラップが売ってた。こーゆーの日本にも雑貨屋にあったりするよね。
なーんて見てたら店員のお姉さんが
英単語で必死のアピール。
「It's LOVE」、「It's MONEY」「It's Fortune」などなど。
で、頑張るお姉さんの姿にほだされて3個購入。

さらにウロウロしてるとスタバを発見。
何故にこんなチャイナな場所に出店するかね。
これじゃムードぶち壊しじゃない?
」そーいえば、「某歩き方」に中国オリジナルマグが売ってるって書いてあったっけ、それは北京か。 
中に入って見てみよう。・・・あ〜、コーヒーのにほひが充満してるぅぅぅ。
奥の方に、無事shanghaiと書いてあるマグ発見!でも、高い。
ちなみに、俺の今現在の食費の合計より高い。
カップをレジに持って行くと、店員がメニューを指して「何飲みますか?」(予想)って、聞いてきた。
だからぁ、コーヒー飲めないのっ!
しかし、他は桁が違うのでおとなしくアイスコーヒー(9元)に。
会計はなぜかカップの分だけだった。なら、コーヒーじゃないのにすればよかった…

アイスコーヒーを受け取り、ガムシロを探したがスティックシュガーしか見当たらない。
あ、なんだーこれって元々甘いのね。ならイイや♪
店の外に出て一口。・・・・・・・・・・・・・・・苦いじゃない

気を取り直して、今度はお箸を探す。
あるある♪でも、よーく見たら包装してる袋に日本語が。
これじゃ雰囲気ゼロだわ、ということで却下。

おなかがすいたのでご飯。昨日の包子屋に。実は、もうひとつ「素蟹粉包」というのがあったからこれをと思ったんだけど、残念かな売り切れ。
だので昨日の「香菇包子」を2個にした。
やっぱりこれ美味しい。そのあと露天に目を奪われて立ち止まってしまった。
包子2個でお腹が満たされるわけもなくそこでも1杯。

さ、両替でもしに行こうかー。
と、一旦戻ったホテルを飛び出し中国銀行へ。


あっれー?門閉まってるんですけど?
営業時間終わったの?と思ってさらに近づくとそこの貼り紙に
19日9:00〜って感じのことが書いてあった。
マジかよ、ていうことは1週間休みだったってことじゃん。恐るべし。
仕方ない、両替は明日の朝にでもするか。

さて、じゃ何しよっかな。
そうだ、向こう岸に渡ってみよう。
蒲東の夜景は撮ったけど今度は向こう側から外灘の夜景を撮ってみよう。

向こう側へは、地下鉄と渡し船で行ける。
ここはもちのろんで船でしょ!
地下鉄より安いし。
でも乗り場がはっきりと分からないんだよね。
地図によると黄蒲公園の一番下(南)となっている。
ま、歩いて行きゃ見つかるか。
・・・端まで来ちゃったよー。

地下鉄にするかと踵を返して公園の下の道を進んで行くとそこには怪しげな標識。
チャリンコ(1元)人(1元)とか書いてある。
どうやらここが探し求めていた渡し船の乗り場のようだ。

船に乗るとすぐにドアが閉まり出航。
結構速い。そして、近い
あっという間に着いてしまった。ま、見える距離だし当然か。
こちら側は新興都市なので大きなビルばかり。なんて言うのかな、こっちで言う所の本牧とか相模原とか郊外のベッドタウンの中心地のような雰囲気。

見るもの特になし。
そして、広すぎて疲れる
結局、そのまま「東方明珠塔」の方にぐるっと回った。
アジア1高いこのテレビ塔、近くに来ると本当に高い。
ただ、個人的にはデザインがちょっとね。
でもあのなかの展望台から上海の夜景を一望したらそりゃ気持ち良いんだろうね。
と思って、入り口近くまで行くと昇る高さで入場料が別れてて、一番高い所まで行くには
な、なんと
100元!
払えませーん、手持ちもそんなに残ってません。ていうか、僕1泊55元ですのにー。

諦めて、川沿いの公園で外灘の夜景をパシャリ。
なんとか1枚におさめたかったけどパノラマでも無理だった。

船に乗った時にもう1回チャレンジとばかりにベスポジとったはずなんだけど
前と後ろ読み間違えるわ、中国人のイけてない記念写真の為にどかされるわでもう散々。

悔しいので、ポーズを決めて写真を撮ってもらおうとしてる奴を撮ってる奴を撮ってやった。
だからって、少しも気が紛れるわけないんだけど。

2/17/2002

2002年2月17日① 上海

お土産を買うにも、その荷物と一緒にこの先この広大な大陸を移動するわけにもいかない。

となると、これらを送る必要がある。
そのやり方は・・・わからない。

ひとまず、情報によると郵便局から送れるそうなので下調べとばかりに郵便局へ。
問題は、箱。
インドやネパールでは梱包屋と言うか発送代行屋の類いがあって
こちとら送るものだけを持って行けばよかったのだが
ここはさすがに社会主義の大国、そんなに甘くはないだろう。

泊まってる「蒲江飯店」のすぐ近くに郵便局が。
行ってみると、そこは立派な欧風建築物。

中は、見た目よりも狭く見渡す限り期待するようなものが見当たらない。
そ、自分で段ボールを探せってことのようだ。

それが分かった所で、一旦お土産の買い出しに。

やはり食べ物でいくのが無難だろう。

そういえば、リクエストをもらってた月餅は全く見ない。
視界に入ってないだけなのかな?

ピックアップしたもの
1。日本のお菓子の中国バージョン
2。中国のビール

こんなもんでいいべ、と。

買い物をしたらおなかがすいたので食べ物を物色。
と、行列のできてるお店を発見。
「小吃」と書いてある。
どうやら「包子」、中華まんのようだ。
そういえば、中国来てその類いのもの食べてなかったっけ。
これはちょうどイイ、とその行列に並んでみる。

ところで、これどうやって買うんだろう???
他の人はみんな中国の人だから「これください」って言えば済む話よね?
でも、そんな言葉知らないってー。
って、考えてる間に俺の順番が徐々に迫って来てるじゃない!?
よし、こうなったら筆談だ!名前と個数を書けば…
ハッ!メニューの名前が分からないから焦ってんじゃん!?
アーッ、とうとう次になっちゃったよー!(泣)

え、あれ?前の人窓口のガラスに書いてある漢字をコツコツ叩いて2個って指でサインしたよ?
あ、通じてる。よかったー、これで行こう。

無事買えたよー。なんか妙に嬉しい。
では、早速いただきます・・・・・・・・・・・・・おーいしーーーーーーい!!
並んだ甲斐があったってもんだね。
この中華まん「香菇菜包」といいます。
野菜きのこまんと言ったところです。
肉を一切使ってないのにあんがすごくジューシー。
横浜の中華街で売ってる500円もする大きいだけのそれとは比べようもないです。
アレ食べて、美味しいと言ってる人たちは正直可愛そうってもんですよ。
しかも、これ1個1元(16円ぐらい)だもん。コストパフォーマンスが全く違いますぜ、旦那。

このあと、小龍包は断念するも外れにあった店の平面の焼きそばを食べる。

おなかも満足し、再びお土産探索。

お茶屋さんを探すも、「歩き方」に載っていた店が見当たらず断念。
ポストカードも本屋さんとか入ったけど良いの見つからず。
疲れたので一旦ホテルへ。

一休みし、こんどは晩ご飯。
これまで、「蒲江飯店」の裏の方ばかり行ってたので
ちょっと足を伸ばしてみようと「南京路」までおりてみた。

夜の「南京路」のネオンはすごい。
香港みたい(比喩になってないぞ)
ここで、目星を付けておいたはずの「刀削麺」が見つからず
ホテル裏にある「美食街」にも行ってみる。
もう時間が遅いのか、ほとんどのお店が閉まっていて、
どうにも入りづらい。
結局、いつものホテルの裏側に戻って来てしまった。
暗いその辺りの通りをうろうろしてると
やっと、「麺」の旗を発見!

偶然にも「刀削麺」の文字を見つけるも
店のお兄ちゃんに首を横に振られてしまった。
じゃ、その下に書いてある「牛肉拉麺」で。
これは、大丈夫らしくそそくさと準備を始め出した。

おぉ、生地の固まり引っ張ってるよー!
これぞ読んで文字の如くな拉麺じゃなかですかー!

具は、牛肉と香菜。
まずはスープからと一口すする。
お!何?スープがカレー味だよ?新鮮だねーなんか。
しかも、このカレー味と香菜が絶妙なハーモニーじゃない!?
この組み合わせにノックアウト。こりゃうまいわ。
鼻水たらしながら速攻でたいらげてしまいました。

さらに帰りがけにコンビニでビールを買い
蒲江飯店の下でニラ焼きを買い込み
部屋でチビり。これもうまー。
ビールが冷えてればさらに言うことなかったんだけどね。

2/16/2002

2002年2月16日 上海

目を覚まし外を見やるも、まだ薄暗い。そして、寒い。
こういう天気の日はあまり活動的な気分にならない。
ベッドの中でうじうじモジモジ。
あの「鄧小平」の腕が止まっていて一体今が何時なのかも分からない…

しばらくして、ホテルの人がシーツを取り替えに入って来たので
しぶしぶ着替えて外に出た。


4日目にして、はやくもやることがない。
というより、する気がない。

街に対してこんなものかと言うある種大まかなものを掴んでしまうとこんな風になる。
そして、次の街に行きたくなる。

でも、次の北京には19日の夜の列車で行くのであって
それまでは、ここ上海で過ごすしかないのだ。
そういえば、まだみんなのお土産とか買ってないしそれを探しながら散歩でもしよう。

まずは、黄蒲公園を左に見ながらひたすら南へ。
そのうち公園が終わり、風景も観光地ぽくなくなったので右に入ってみる。
うわぁ、ものすごい生活臭!
ていうか、ここ入っても大丈夫???そんな印象さえ抱きかねない雰囲気だ。
しかし、かまわずサクサク進入してみることに。

露天では、相も変わらず正月にちなんだ縁起の良さそうなものや、誰が買うのか皆目見当もつかないがらくたを売る人たちで溢れ返っている。
特に、ガラクタ(なんとまあ失礼な言い方だが)を扱う人たちの表情にはやる気のかけらも伺い知ることが出来ない…

と、大きな寺のようなトコロに出た。
「豫園」
なるほど。ココがそうだったのね。
伝統的上海を感じさせる観光地らしい。
中に入るには入場料がいるようなので周りの店を物色してまわる。
ここはお土産を買うには良さそうだ。改めて来よう。

そういえば、さっきから足が重い。
てか、ツライ。

よく考えてみれば(考えなくても)昨晩のポッキー以来まだ何にも口にしてないんだった。
そう思ったらとたんにおなかも減ってきた。気がする。
空腹のあまり疲れたのか、疲れて空腹を思い出したのか卵と鶏だが
この際、それはどっちでもイイ話だ。

とりあえず何か腹に入れたい。
こういう時は安くて量のあるものが一番!
と思うんだけど食べ物は何が出てくるか微妙なので飲み物にすることに。

で、可乐(コーラ)を購入。
海外に来るとなぜかコーラを良く買う。
日本にいる時は、全くと言っていいほど炭酸飲料の類いは口にすらしないのに。
不思議なものである。
昔、漫画かなにかでコーラの炭酸抜きは疲れを取るのにもってこいだかなんだかって
読んだかなにかした記憶があるけど、そう言う観点から見れば
旅値追うのは未知の世界に足を踏み入れてるわけだから普通にしてるつもりでもかなりのストレスを感じていて、自然知らず知らずのうちに疲れが溜まっているんだろう。
その疲れを補う為に本能的に甘いモノなど疲労回復に即効性のあるモノを摂ってるに違いない!多分。
気のせいか、コーラを摂取したおかげ?で、足取りもだいぶ軽くなった気がする。

さらにブラブラしていると、見慣れたマークを発見。
「中国東方航空」のオフィスだ。
ちょうど良いからここでリコンファーム。
カウンターのお姉ちゃんに「リコンファームプリーズ」と言ったら「???」って顔された・・・航空会社に勤めてるのに英語、ダメですか?
仕方なくガイドブックに載っていたその意味の中国語を見せるとようやく解ってくれたらしく、ちょこちょこっとパソコンで手続きしてくれた。
これで、帰りの便の心配はとりあえず解消。

ホテルに戻り、先日の裏の飯屋へ。
一番安い「旦炒飯」を頼むと出て来たのは玉子チャーハン。
ここで嬉しいのは一緒にスープが付いてくること。
しかも、そのスープがあっさり海味(伝わるかな?磯の香りがするってこと)で、実に美味なのだ。

部屋に戻ると中国に来て初めての雨が窓の外で降り出した。

2/15/2002

2002年2月15日② 上海

しばらく、メイヨーと言われてしまったので
この先の事を考えてみる。

19日にクラスメイトと合流するのは×。
そうそう、でもこんなこともあろうかと
20日に北京の前門駅のマクドナルドでで合流って決めてたんだよね。

それに間に合うよう、日付だけを変えてもう一度トライ。

すると、今度はお姉さん「メイヨー」とは言わず
金額を紙に書いて戻してきた。
ヨッシャー!見事切符入手成功!!
新型のエアコン車だったので予定よりも高かったが(335元)
何よりこれで無事北京まで行ける。
そう考えれば良しとしようではないか。

よーし、あとはお土産物色ツアーだー!

とりあえず成都北路を南下し、南京路へ。

100年以上前から栄える繁華街だけあって
さすがにデカい。

こういう所で同じ年頃の現地人を見て
女の子は日本人とそう変わらない印象を受けた。
でも、男は…まだまだ時間がかかりそうだ。

そんなアンバランスに見えるカップルたちが
さっきからこれ見よがしにアツアツなのが気になる。
単に羨ましいだけなのか?
なんか日本人より凄いぞ。
うーん、中国ってこういうの厳しい国だと思ってたけど、以外。

夜、けたたましい音で外を見やると
どうやら爆竹を鳴らしてるらしい。
そのシーンが撮りたくて外に飛び出したんだけど
音はすれど姿はせず、結局撮れなかった。

上海などの大都市はこういう類いのものは禁止にしたって聞いてた気がしたけど
新春を祝う国民の気持ちまでは法では縛れないらしい。
ここにはまだ、法よりも習慣、風俗の方が勝っている一面があるんだと
嬉しく思いながらも、
ちょっとだけ羨ましく思った。

2002年2月15日 上海①

今日からはまた一人での行動。

まずは公安局に行って、ビザの延長。
が、閉まってる。

そういえば、中国の正月は2月の12日だったはずだから
ちょうど3賀日明けなんだけどな、日本なら。

後から聞いた話だと、正月休みは1週間とる所もあるらしい。

今度は気を取り直して、一路上海駅へ。

昨日見た通り外国人専用窓口に並び順番を待つ。

それにしても、相変わらずお前らは外国人じゃないのにここに並ぶのなっ。
それから後ろの男、俺にくっつき過ぎ!
そんなにくっつかなくたって誰も横入りなんてしやしないって!
ちょっ、だからー(怒)・・・って、
まさかアナタ、スリ?それともソッチの気がある人?
嫌ーっ(涙)どっちも勘弁してー!!

何回も振り返って睨んだのに全ッ然効果無し。
(まさかこれが誤解を生んだのか?)

そんなこんなで俺の番が回ってきた。

昨晩紙に書いておいた希望のチケットメモを窓口のお姉さんに渡した。
カチャカチャカチャ…。
うーん、なんか長いなぁ。何気に書いておいた第2第3希望のやつまで調べてない?
あ、こっち向いた。
あれー、眉が八の字になってるよー?
ま、まさか!

「メイヨー」

今日は負け続けるのだろうか…

2/14/2002

2002年2月14日⑦上海

ホテルに戻り、ロビーのソファへ。

気がつくと、
隣のソファにも日本人が数人。

でも、何やら携帯を使って話をしている。
おまけにダッルフコートなんぞ着てるし、
なんだか旅行できてる感じに見えない。

そんな事思ってたら
向うから話しかけられ
しばし雑談。
盛り上がってきたところで
「僕たち今から面白いところ行くんだけど来る?」
なんて言われ、
旅は道連れというし、
のっとかない手はないと、OKした。

なおとさんとは、
電車の時間があるからココでお別れ。
それでは良い旅を。

行き先も分からないまま、僕はタクシーに乗り込んだ。

動き出してから、
ようやく行き先を教えてもらう。

「コーヒーショップ」

え?コーヒーショップ?
あのー、僕コーヒー飲めないんです。
え?ビールもあるから大丈夫???
コーヒー飲むのに会員制???
さっぱりわからん。

なんでも、中国で働いてる人から紹介してもらったらしい。

さらに教えてもらって、ようやく形が見えてきた。
どうやら風俗の類いらしい。
コレで点が線になった。

そうこうしてるうちに、タクシーが止まった。
カーテンで締め切りにされてる店に入ると
そこには、テーブルが2つ。そして、椅子。
ていうか、それだけ。

というのは、言い過ぎで
2つあるうちの手前のテーブルにはオネエサンたちがいた。
僕らが案内されたのは奥のテーブル。

不幸中の幸いか、
ここは隣に座ってという事はいっさいなく
何もしなければ、飲み代だけで済むらしい。

途中までは、100元。最後までだと300元。
時間制限はなし。
など、色々のいらない情報を教わってしまった。

ココ上海では、規制が厳しくなる一方で
こういう店は地下に潜ってしまうらしい。

しばらくして、2階から人が降りてきたので
またタクシーに乗り、宿に戻った。

何とも気分が悪かったが
これもまたリアルな上海の一つには違いなかった。
鄧小平の腕は、明日を指そうとしていた。

2002年2月14日⑥上海

上海駅で降り、鉄道の下をくぐって
線路の向こう側へ。

ロータリーのある側とはまるで違う国の様。
あちら側のような近代的ビル、デパートなどは一つも見当たらない。

どことなくすえた臭いが立ちこめ、
薄暗く閑散としている。

コレなんだよね、見たかったのは。
上海の低位層と思われる生活風景。

ネットカフェに入ると、
周りの客は、皆現地人のようだ。
しかも、みんなネットゲームをしている。

日本語での打ち方が微妙に分からなかったので
ローマ字でメールを送ることにした。

夕食を摂ろうと、あたりを散策する事に。

それにしても、さっきから「拉麺」の文字ばかり。
他にはなんかないの?
と思った矢先。

目に入った店のデカデカとしたメニュー板に、
「羊肉」の下にはっきりと「狗肉」と書かれていた。
まさかこんなに早くお目にかかれるとはね「狗」→「犬」に。

「あ、犬の肉ですって」と言ってみたが
犬飼ってるからNGと断られてしまった。
仕方ない、後日一人で来るか。

結局、さんざん歩き回ったあげく
屋台で売ってたイカのポッポ焼きみたいなのと
ケバブみたいな串焼きを買って食べた。

さらに、今度は石釜で焼いていたピザ大のパン?を購入。
レコード盤みたいなサイズでたったの2元。
中には何も入っていなくて少々拍子抜け。
上に胡麻と塩が軽くかかってはいたが。

そういえば、さっきのケバブ屋といい、今のパン屋といい
漢民族とは全く違う顔つきをしていた。
きっとイスラム文化圏の人たちに違いない。
広いねー、中国は。
外国で出会っても中国人だとは絶対思わないね、そんな顔つき。

やっとこさ腹を満たし、
ぼちぼち歩いてホテルに戻った。

2002年2月14日⑤上海

なおとさんのバッグを買いに再び市場へ。

またあのやり取りを繰り返す訳だが、
今回のねーちゃんはさらに強敵だった。

スタートは100元。
だいぶ粘っても、70元でしか下がらず。
一旦引き下がり、ほかの店を物色するも
結局良いのが見当たらず、
もう一回さっきの店に戻る。
「アイヤー(叫)アンタ達また来たの!?」
なんて目を丸くしながら寄ってきた。
で、さっきのバッグはやっぱり70元…。

何やらマーク(ロゴ)を指している。
「これはブランドもんなのよ!だから値引きするのが土台無理な話なのよ。わかる?」
とでも、言っているらしい。

ごめんよ、所詮ブランドネームなんて買い手が知らなきゃ
なーんの付加価値も生まれやしないのよ。
あなた達にとっては、高いブランドでも、それを知らない僕らにとっちゃ
猫に小判、豚に真珠、馬子にも衣装(←違う)ってわけ。

60元で挑んだら、
「アンタ達これ以上アタシを困らせないで!(怒)
弾き出してきた数字は、
『69.999999999』!!!

ねーちゃん、芸人になった方が良いよ。
アンタのそのセンス、俺は好きだよっ!
でも、1元も下がってないじゃんっ!!

結局、そのあと数回粘って
65元で交渉は成立。
市場での目的を果たし地下鉄に乗り込んだ僕らは
ネットカフェに行こうということになり、
蒲江飯店から上海駅に針路を変えたのだった。

2002年2月14日④上海

「コレは?』と聞くと、
「鄧小平」と返ってきた。
コレは日本で見た時ないよー。
アツいんじゃない?
「いくら?」
「70元」

……ハァ、やはりその値段か。
じゃあいいや。
そう思って店を離れようとした。
「じゃあ、いくらだったら買うんだい?」
すかさず女主人はそう言ってきた。
(多分。相手の台詞は全てこちらの都合の良い思い込みです)

ヨシ!喰らいついてきたよー!!
「そーねー」といいながら電卓を叩く僕。
「20」

「ア゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
それを見た女主人、悲鳴を上げる。

「そんなんじゃ商売上がったりだわ!アンタ私に死ねというのね?
 でも、わかったわ。コレならどう?」

そう言って提示してきた額は「60」
全っ然解ってねーよ、あんた…。

首を横に振ると、電卓をまた渡された。
「25」
そして、悲鳴。
以下これを数回繰り返す。

とうとう、こっちの言い値が「30」むこうが「40」ぐらいになった。
でも、これ以上は無理かなと思って店を離れた。

「…………待って、いいわ30元で。」

背後から女主人の声がした。
「アナタには敗けたわ。」そんな感じの
ある種、戦い抜いたあとにお互いを認めるかのような
さわやかな表情だった。
(↑それは思い違いだろー)

かくして、見事中国で初勝利をおさめ
戦利品をゲットしたのであった。

2002年2月14日③上海

切符を無事手に入れた僕たちは、
道具を調達するために買い物をする事にした。
地下鉄1号線に乗り「陜西南路」駅から少し行ったところにある市場?に向かった。

そこは、小さな商店が区画内にびっしりと詰め込まれていて
道幅のさらに狭いアメ横を歩いてるような感じのところだった。
店舗数の割には、商品数は少ない気がした。
おそらく、仕入れ元は同じなんだろう。

時計を普段つけない僕は
もちろんこの旅のために時計を買ってくる事もなく
しかし、この先絶対時計が重宝するので
ちょうどいいし、ココで探す事にした。

なぜか、どの店の主人もうちらを日本人と判ってか、
「ヘイ、ロレックス。プルガリ。グッティ。」などと声をかけてくる。

アジアはパチもんが出回る事で有名だが、
この人たちに罪の意識は全くない様に思った。
おそらく売れれば何でもいいのだ。
でもさ、ブランド名ぐらいはちゃんと言ってあげようよ?
本家に失礼じゃない?
(…もしかして、わざと言ってないのか!?
   はじめから違うブランドだと主張するために!?
   まさかね、ロゴとかまるで同じだもんね。)

それから、いくらニホンジンだからといって
小汚い格好してる僕がブランドもの買うと思う?
人見て商売した方がいいって。労力の無駄だよ。

そんなブランドものの時計に混じって「毛沢東」が手を振る時計が売っている。
日本でも輸入雑貨屋なんかで置いてるアレである。
いくら?と聞くと
店員がタタタッと電卓を弾く。
70元だぁ〜?
おいおい、僕の一泊分より高いじゃないのっ!
はい、却下。いいよ、他で聞くから。
が、他の店で聞いても値段は70のまま…

値段の見合わなさに買う気が失せ
もう時計なしでもいいかなーと思った、その時!
違う人物が手を振る時計が僕の視界に入ったのだった。

2002年2月14日②上海

相変わらず上海駅は、たくさんの人でごった返していた。

僕たちに限らず、外国人は外国人専用窓口で切符を買う。
しかし、これを見つけるのに一苦労した。
ガイドブックの地図は往々にしていい加減だ。
時差があると言った方がいいのかもしれない。
やっと見つけた窓口は、他の切符購入窓口と同じ場所で
その一番右端にあった。
インドのアーグラー・カント駅と一緒だ。
確かにそこにはしっかりと「外国人専用」と書いてあるにもかかわらず
どうしてだろう?やっぱり人民が並んでいる。
彼らは母国語すら読めないんでしょうか?
こんなところもアーグラー・カント駅と一緒なのには
腹立たしくなりながらも、懐かしい感情が起こった。

なんとかうちらの番が回ってきた。
言葉は、中国語オンリー。
英語すらしゃべってくれないので、
希望の電車と座席の種類を紙に書いて渡すしかない。
良かった、日本人で。
窓口のお姉さんが紙を見ながらパソコンに情報を入力して行く。
しばしの緊張。
渡した紙に何かを書いて戻してきた。
書き込まれた数字を見て、それが金額を意味してるという事だとわかった。
ということは、席あったんじゃん!?
お金を払って切符を入手。
見事、当日券の入手に成功!

構内でたくさんの中国人に見つめられるもおかまいなし、
しばらく二人で成功の余韻に浸ったのだった。

2002年2月14日①上海

かなり遅くまでベッドの中で粘ってた気がする。
ボーッとしてたら昨日の日本人の人(以下なおとさん)が来た。
軽い挨拶を交わし、一緒にご飯を食べに行った。

入った先も、昨日の様に現地人御用達な感じなところだった。
色々ある中で、なんとなく「反茄炒旦飯」というのを頼んでみた。

出てきたそれは、玉子とトマトを炒めたものと高菜がご飯の上に乗っているものだった。
トマトを熱くしてくれやがって!
と、思いながら食べてみる。
トマトと玉子の方は甘酸っぱい、高菜はしょっぱい。
そのうち混ぜてみたらコレが何ともナイスコンビネーション!
なおとさんの頼んだ炒飯も、一口もらったけどそっちもウマかった!

おなかを満たしたあと、
なおとさんが駅に切符を買いに行くというのでご一緒した。

上海の地下鉄切符はテレカサイズ。
券売機は硬貨しか使えず、しかも硬貨を入れる前に
2元3元4元の3つしかない料金ボタンを先に押さないと買えない。
駅舎も電車も日本と比べて全く遜色ない。
日本よりすごいと感じたのは、席の争奪戦。
大阪のオバチャンよりもすごい?個人的にはそう思った。
降りる人先とかそんなのおかまいなしに突っ込んでくるのには閉口です(汗)

2/13/2002

2002年2月13日③上海

タクシーを降りると、
目の前にはかなーり貫禄のある欧風建築物がそびえていた。

フロントでドミトリー空いているか聞いたらOKが。
用紙に諸々を記入し案内されたのは、
建物の6階。
なんだかすごい趣のある屋根裏の部屋。
屋根裏という響きにすでにアリナ…ドーパミン出まくり。

部屋に入ると、先客の外国人が2人。
荷物をそこそこ整理して、とりあえず散歩&食事。
ちょうど中国の暦では新年ということで、
外灘(バンド)の公園が(正式には黄蒲公園)盛り上がってたが
特に見るものはナシ。
で、踵を返しホテルの裏の方歩いたら「米」の文字!
入ってみると中国人が数人TVを見ていた。

僕に気付いたオバチャンがメニューを指し何にするか尋ねてきたので迷ったが
かろうじて漢字を読めそうなぐらいで
だからといって料理の内容まで知ってる分けないし、
選べと言われてもこれって選んでるとは言わないんじゃないの!?
と、一人思いながらも「牛肉米粉」(6元)にしてみた。

店に入る前は、「米」の文字だけで「粥」だと思い込んでたんだけど
出てきたそれは稲庭うどんぐらいの太さのビーフン?だった。
そういや、「ビーフン」→「米線」そう読めなくもないよね。ベイフン?
まずは記念写真を撮り一口。
……………………う、美味い(涙)
牛肉の味が牛肉?て感じだったけどスープがあっさりしていてスルスル進む。
それまで何にも口にしてなかったというのもあるのか知れないが
あっという間にたいらげてしまった。

部屋に帰ると、見慣れた顔つきの人が。
思わず「こんばんわ」と言ってしまったら、
向うもビックリしながら「日本人ですか?」て聞いてきた。
話をすると、明日昆明行きの列車に切符がとれたら乗るとの事。
うーん、僕も早くそっちに行きたい!

2002年2月13日②上海

しかし、ココは一体ドコなんだー!?
いきなりピンチ。
オバチャンに指差したホテルを地図から拾ってみると、
な、なんと市街地からスゲー離れてんじゃん!?
おそらくその距離2㎞強…
仕方ない、とりあえず歩いて行くか。


上海の物価はかなり高い。
1元が16.7円する。
「歩き方」に載ってるホテルはだいたい安くても200元(およそ3340円ということになる)もする。
んなトコロには泊まれる訳がない、自慢じゃないが。
だって、インド・ネパールでも2、300円のトコロで泊まって来たのに、
今さら桁の違う料金の宿なんて、無理でしょ。

蒲江(プージャン)飯店というトコロが上海でも数少ないドミを有しているそうなので
そこに泊まりたいのだが、その場所が全く分からない…
上海駅に行けば何とかなるはず!
そう安直に考えてひたすら地図とにらめっこしながら進んだ。

・・・なんとか駅に到着。
が、何も手がかりになりそうなモノは見当たらない。
じゃあ・・・と、思ったその時タクシーの運ちゃんが声をかけてきた。
これはチャンスと思って行き先を告げたら「100元」て!
おいおい、馬鹿にするな。
バスと言えど空港からかなりの距離を4元で来れたのだよ、チミ。
それを何かい?一人でゆったりできるからって
僕のためだけに目的地に向かってくれるからって、3桁ですか???
で・も、かなり疲れてるからもうどうでもいいや。
全く値引きせず70元で連れてってもらった。

2002年2月13日①上海

「○▲×◇※◎>#$%&☆♥!?」

空港を出た僕に近寄って来たおばさんが、 何か音を発している。
その音のすごみにすっかりファーストタッチをとられたものの、
僕は必死にこの場面を切り抜けるために頭を必死に回転させた。

成田からほぼ3時間後、 僕は上海の虹橋飛行場に降り立った。
あらかじめの予定通り、バス乗り場とおぼしき場所へ向かった。
そこで、いきなり声をかけて来たのがそのおばさんだった。
中国語を全く解さない僕は、それを言語という感覚で 聞き取ることが出来ない。
どうやら、このおばさんに行き先運賃を払えば良さそうだ。
がしかし、行き先の読み方すら分からんし、言えん。
とりあえず、一番後ろの席に座ってみた。

バスが発車してしからばらくして、おばさんがまた来た。
相変わらず僕の耳には、言語には聞こえないがきっと同じことを言っているのだろう。
「歩き方」に載ってたこのバスの単語と、ホテルの名前を指差してみる。
あ、納得した。
「歩き方」に運賃4元と載っていたので5元渡してみた。
ちゃんと1元硬貨が戻って来た。
ボラれてね〜よ〜(驚)  

「按♪时¥哦@老▲了的亿※◎#$%&☆♥!?」
あ、またなんかしゃべり出した。 
都合良く解釈すると 「わかったわ。じゃあ、アンタの行くそのホテルまで着いたらアタシが合図してあげるわ」 と言ってるに違いない。
いや、そう思うことにした。
有り難うおばちゃん。
空港から市街地まで、地図で見ると近い様に見えたのに 10分くらいはまだ乗ってる気がする。
どうやら結構あるらしい。
隣に座ってるおじさんたら、さっきからトウモロコシがっついてるんですけど… 
ココは中国だから、それもありなのかも。
あ、おばさんがこっち向いてなんか言ってる。
身振り手振りでホテルの場所(?)を教えてもらい バスを降りた。