9/11/2008

みそらの日(黄金町バザール)

一昨日、新聞の記事に載っていた
「黄金町バザール」なるイベントが
今日からスタートということで
赤い電車(京浜急行)に乗って黄金町へ。

2005年。
県警の一斉摘発とその後の常駐により
かつて関東一の規模と言われていた
売春街は、港横浜から姿を消した。

僕ら横浜生まれ横浜育ちの人間にとって
きっと耳にしないことはない地域だったと思う。

赤い電車で日ノ出町から黄金町へ向かう車窓からは
夕暮れ時になると高架の下とその両脇の道に
赤ともピンクともいえないぼわんとした色が灯り
子供時分に、何か違う世界があるんだと感じていた。

実際、大人になりそこを歩いてみれば
わずかに空いたガラス戸の隙間から
派手な衣装に身を包んだ“お姉さん”たちが
こちらの様子をうかがい、
甘く粘り気のある視線で僕らの“オス”に訴えかけてくる。

僕が、初めてこの街と接点を持ったのは高校生のとき。
初めてのバイトが、黄金町のすぐ隣の町のお弁当屋さんだったのだ。
いつもいつも派手ないでたちの“お姉さん”たちが
片言の日本語でお弁当を買いにきていた。
ただ、その時は
その人たちがそう言うことをしているだろうということは知らなかったけど。
ある時、お使いだったか休憩だったかで店の裏側に入った時に、
僕はそこが黄金町だということを認識せずに足を踏み込んでしまい、
あまりの空気の違いにただただいてもたってもいられず
足早にそこからどうにかして出たのをうっすら憶えている。

でも、その時に見たあの通りの光景は今でも鮮烈に残っている。
黒澤明監督の「天国と地獄」でも描かれた魔の巣窟。
それがあの町だった。

…と、長くなっちゃったけど
そんな背景のあった黄金町。
摘発からすっかり人がいなくなってしまい
残された当時そのままの建物だけが、
これまでずーっと一人寂しく風雨にさらされ続けてきた。

ぼちぼちカフェや居酒屋やレンタルルームなんてのも
出来てきたけど、それでも往時(と言っていいのかな?)には
とてもじゃないけどかなわない。

一度壊れたものはそう容易くは戻らない。

では、この度の「黄金町バザール」って?
今日頂いてきた公式パンフに
『新しく生まれた2つのスタジオをメイン会場とし、
 地域とアートの共存を通して街並が新しく生まれ変わることを目指す事業』
かつ、
『衣食住にわたる新しい経済活動を導入しながら、
 街の在り方を見直すアイデア、イベントなど多彩な分野を取り入れて
 (中略)
 多くの来訪者を心から歓迎できるまちづくりと
 会期終了後も持続可能な事業展開を目指す』

その第一歩のイベントということです。

ただ、イベントとは言いながら今後を見据えたものであることが
興味深く、素晴らしい点と言えると思います。


堅苦しいことは抜きにして、
個人的にはあの黄金町が、

今、どうなってるんだろう?
今回、どういう風にするんだろう?
これから、どうなっていくんだろう?

という点で非常に興味がわき
足を運んだ次第なんです。

工事中の黄金町駅をおりて横断歩道をわたると
もうそこからすぐにあの通りが始まります。

しかし、初日のお昼過ぎに行ったからかな?
加えて平日ということもあってかもしれないけど
通りに人はまばら。
しばらく進むと高架下にガラス張りの建物が出来ていて
いろんな人たちのアトリエやショップが入ってました。

そこを抜けしばらく進むと
かつてコの字型に中に入れた「ちょんの間」アパート?的な
建物の奥の方になにやらお店らしきものが。

その名前がカタカナで「ヒガシノミソラ」と書いてあったので
京都の「サヨナライツカ」とかを思い出す。
ネーミングセンスに惹かれ覗いてみると
店員の男の子から声をかけられ
なんとなくフィーリングが合ったので入ってみる。

そこは、
このイベントでオープンしたお好み焼き屋でした。
(正確には、鉄板焼屋みたいです)
でも、ただの(?)お好み焼き屋じゃない。
その店のかなりのオリジナルスタイル☆
お好み焼きと詠うとかなりイメージと違うものが出てきて
お客さんが困ってしまうからと
名前も店名を取って「ミソラヤキ」とされてました。

なんでも、
通常イメージされるお好み焼きより
薄くて、生地がかなり柔らかいとのこと。
もんじゃとお好み焼きの間?

これも何かの縁と、
せっかくなんで注文してみました。

で、目の前に現れたのが、↓です。

たしかに、薄いですね。
生地がホントに柔らかくって、思わず
「山芋かなり使ってるんですか?」と聞いたんですけど
全く使ってないそう。
ソースは、甘め。
うん、僕好きだなこういうのも。
かなりおなかにも軽い印象です。スッと食べれちゃう。

で、このお店の気になる所。
(ここだけではないんですけどね)
実は、残されたままの当時の建物を利用してるんです。

つまり、ベースは「ちょんの間」ってことです!
これにすごい興味あったんですよね、個人的に。

で、ふと上を見たら2階まで吹き抜けになっていて
ご主人に聞いてみたら
「2階も客席なんで、上がれますよ」と。

おぉ!
2階と言えば、その当時
お客さんしか見れなかった場所です。

おそるおそる上がってみると、
さすがに飲食店として利用してますから
当時の面影はほとんどなし。

そして、
吹き抜けから1階を見下ろしてパシャリ。
うん。
なかなか見れない角度なんでいいね、こういうの。


実はこの時、
僕の他にお客さんがいたんですけど
その人たち「タイ人」だったんです。

どうやら、このイベントに関連してる人みたいでした。

でも、その光景を見て
僕の望むヨコハマ像があるなぁと嬉しくなっちゃいました。

国籍も年齢も関係なく
あらゆる人たちが同じフィールドで
それぞれの価値の共通点で繋がっていく。

そんなあったかい場所ができたらなぁ。
その原型みたいなものを
今日、このお店で見れてたとおもってジーーーーーン。

港町は、
いつまでもそういう懐の広い場所であってほしいし
ヨコハマにはそれが出来る下地が充分にある。
僕はそう思ってる。

でも、
この黄金町の消滅を見た時、みなとみらいの開発だけに力を注いでる
今の市の取り組みを見た時、
とっても悲しくなりました。

ヨコハマを捨てて横浜になってしまうということに。

今、頑張ってる野毛と共に
この町も地のヨコハマの社交場として
育ってほしい。

そうすれば、
いつしか川を越えて
福富町を越え、伊勢佐木町にも
かつてのヨコハマを取り戻せる時が来ると思う。

京都の木屋町のような存在が
絶対この街にも必要だと感じてる。

僕らに必要なのは、
綺麗なだけのどっかにあるような都会だけじゃない。
失くしちゃいけないものだってあるんだ。

歴史の浅いこの街には、
自信を持てる何かが必要だと思う。
でも、そんな時代があったじゃない?
なんでそれを捨てちゃうんだろう。

綺麗なだけじゃダメなんだ。
僕らは、綺麗なだけの生き物じゃないんだから。


僕は、今回ほとんどの国の人から
自分の街を認識してもらえてなかったのを
すごい悔しく思ってる。
自分では名が通ってると思っただけに。

だから、いつか
自分たちの街のアイデンティティを取り戻せたらと思う。

みんなに、
東京の近くの…
じゃなくて、
ヨコハマとみんなに言ってもらいたい。


あぁ、語りすぎたw

お店を出る前に、
主人にどうしてもこれだけは聞いておきたいと思って聞いてみました。
「お店の由来は?」と。

そしたら、
なんと本店の名前の由来が「美空ひばり」だったんですって。
当時のトップスターにあやかったそうで。
で、鉄板焼と貸本屋をやっていて
鉄板焼屋が「美空」、貸本屋が「ひばり」。

その「みそら」がこっちに店を出したから
「ヒガシノミソラ」にしたと。

うわぁ、それってすごい!
だって、ここヨコハマは
その「美空ひばり」のふるさとじゃない!?

こっちに来たというより、
戻ってきたって感じだよね。

その名前をつけたときから
ここに来るのが、横浜に来るのが
まるで運命だったかのよう。

その嬉しい話を聞いてお店を後にしたんだけど
あとになってもっと不思議なことを思い出した。

そう言えば今日、
僕、美空ひばりの
「愛燦燦」と「川の流れのように」を
i tunesに落としたところだったー!!


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